よこはま ぎゃくえんじょ ひめじでほものあつまるところ

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いってしまえばよこはま、きゃばくらにいくりょうきんをけちりたくてぎゃくえんじょ、ふうぞくにかけるおかねもつかいたくないから、りょうきんがひつようないであいけいさいとで、「ひっかかった」じょせいでやすあがりでまにあわせよう、ととらえるだんせいがであいけいさいとをかつようしているのです。
かたや、ぎゃくえんじょおんなのこたちはすこしべつのすたんすをひめています。
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おたがいに、ひめじでほものあつまるところできるだけやすくおかいものがしたくてであいをさがしているようなものです。
そのように、であいけいさいとをやくだてていくほどに、おとこたちはおんなを「もの」としてかちづけるようになり、ぎゃくえんじょじょせいもそんなおのれを「しなもの」としてとりあつかうようにまがっていってしまいます。
であいけいさいとをりようするひとのあたまのなかというのは、かくじつにおんなをにんげんから「ぶっしつ」にしていくようなあぶのーまるな「かんがえかた」なのです。

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