くまもと ひとづま であい ふりん ぱーてぃ

いぜんここにのせたきじのなかで、ひとづま「であいけいさいとでやりとりしていたあいてと、やったとおもっていたらはんざいしゃだった」とそうぞうとちがうてんかいになったじょせいのはなしをしましたが、じょせいがいやになるとおもうでしょうが、そのだんせいとわかれずにつきあってしまったのです。
ほんにんにはなしをきくと、くまもと「だんせいがやくざにしかみえず、くまもときょうふをかんじてしまいほかになにもできなかった」とはなしていましたが、であいさらにはなしをきかせてもらったところ、ふりんみりょくてきなところもたくさんあったのでいっしょにいってみようとかんがえたようでした。
そのだんせいのはんざいというのも、そこそこはわたりのあるないふをつかってじぶんのおやをさしたというものだったのですから、なかなかいないたいぷできけんなあいてだとおもうひともすくなくないでしょうが、くまもとかんじのわるいぶぶんがなかったようで、こどもなどにはむしろやさしいぐらいだったので、わるいことはもうしないだろうとおもって、であいこいびとかんけいにはってんしていったのです。

へとへとになりながらくまもと ひとづま であい ふりん ぱーてぃの神業

そのままうまくかんけいがつづいたかというと、であいたまにだんせいがあやしいこうどうをはじめたりするので、なにもはなしあいをせずにでていき、だんせいとはわかれることにしたのだというおわりになったのです。
とくべつなことなどしていないのにきょうふをかんじるようなじょうきょうで、ぱーてぃふたりでいっしょにくらしていたばしょから、いまのうちにはなれていこうとくもがくれをしたということなのですが、どうもふつうとはちがういあつかんがあっただけではすまなかったようで、いえばわかるようなもんだいで、ひとづまてをあげてだまらせたり、ぼうこうだってきにしていないようなどうさでいかくすることがあるからぱーてぃ、ようきゅうされればおかねもだすようになりふりん、おねがいされるときくしかなくなり、そのだんせいとのせいかつはつづいていたのです。

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